日本でカジノ解禁が叫ばれるようになったのは、2000年に当時の東京都知事だった石原慎太郎氏が、「東京にカジノを作りたい」と公言したことがそもそもの発端でした。やがて自民党内でも研究会ができ、議員連盟へと発展していきますが、当時、自民党内でカジノ推進の先頭に立っていた野田聖子氏が郵政民営化法案に反対したために自民党を離党し、カジノ解禁への動きは、一旦、ストップすることになりました。
当然ですが、違法であるカジノを解禁するためには、東京都だけでは無理で、国会での法改正がどうしても必要です。その国会での動きがストップしてしまったことで、石原都知事も東京都レベルでカジノ解禁を推し進めるのは難しいと考えるようになったようです。
これで立ち消えになったかに思えたカジノ解禁ですが、すぐに新たな動きを見せるようになります。小泉純一郎元首相が退任し、安倍晋三氏が第一次安倍内閣を組閣すると、野田聖子氏は自民党に復党することになりました。また、この頃、シンカボールでカジノが解禁され、観光客が増え、経済が大きく伸びたことなどもあり、カジノ解禁に向けた動きが再び活発化することになりました。
2008年には民主党内にも「新時代娯楽産業健全育成プロジェクトチーム」が発足し、2010年には超党派の「国際観光産業振興議員連盟(工議連)」が発足します。この工議連が、2011年に「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律案(「工推進法案」)」を公表し、2013年に議員立法の形で衆議院に提出されました。この法案にはっきりと反対しているのは社民党と共産党ぐらいで、あとは条件付きで認める、少なくとも真っ向から反対はしないといった立場でした。したがって、成立は時間の問題と言われていました。
そのため「2014年の通常国会で成立か」などと言われていましたが、現実的にはそう簡単ではなく、審議入りがやっとという状態で、成立はしませんでした。ただ、審議入りしたことで、2015年の通常国会では優先的に審議されることになりましたので、「時間の問題」の「時間」が確実に進んだことは間違いありませんでした。
そして翌年の2016年12月、議員立法で「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」として公布・施行されたというのがこれまでの経緯になります。